応招義務から考える救急医療体制

◆救急患者「たらい回し」報道の罪と罰

平成18年8月奈良県で、32歳の女性が出産途中に脳出血をおこしました。
産科医は自院では対処不可能であると判断し、より充実した病院に転送を求めたところ、19病院に断られ、6時間後、ようやく転送先が決まりました。女性は転送先病院で開頭血腫除去術及び帝王切開術が開始され出産しましたが、約1週間後に死亡しました。それを、約2ヵ月後にスクープした新聞報道をうけて、救急患者の「たらい回し」非難が過熱し、以降、マスコミ報道による医療バッシングを浴びるようになりました。

 「たらい回し」という表現から、どのような状況を連想されるでしょうか。脳出血をきたし瀕死の状態にある妊婦を乗せた救急車が、各病院へと走るけれど、その先々で門前払いされ、次、そして、また次の病院へと移動してゆくというイメージをもたれるかと思います。が、実際は、電話で搬送先を探し、受け入れ先が決まるまで、救急車は出発しません。

救急搬送

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002umg2-att/2r9852000002ummz.pdf より転載

報道は、いつの時代もセンセーショナルな表現で、社会の関心を集めようとします。テレビであれば視聴率をとるため、雑誌・書籍であれば販売を促進するための商業的手法かもしれません。ただ、医療現場において最も危惧されることは、国民の多くが、このメディアの扇情的なフィルターを通して、医療というものを理解・認識してしまうことです。

母親が子を残して亡くなるという予期せぬ結果に、関わった医療者が最も傷つき、打ちのめされるのです。

真実を公正、公平に伝えるのは、非常に難しいことですが、報道の中で「拒否」や「たらい回し」といった表現は、それだけで全体の印象を歪めてしまいます。
 「受け入れ拒否・受け入れ不能」における問題の本質は、応招義務を厳しく課すことで解決されるものでなく、救急医療体制の機能不全にあったのです。

マスコミは、「たらい回し」などと医師にとって非常に人権侵害性が強いフレーズでバッシングするのではなく、「受け入れ拒否」せざるを得なかった救急医療現場の惨状を報道すべきだったのではないでしょうか。
これら一連の「たらい回し」事件報道は、日頃から過剰労働を強いられていた医療現場の疲弊・崩壊に拍車をかけ、救急医志望者は減少し、救急医療のさらなる崩壊を招くことになりました。

報道が悪いと言っても何も解決しませんが、私たち自身が報道を鵜呑みにしてマスコミに振り回されることなく、それぞれの重要性をよく考える必要があるのではないかと思います。

次に、同じく医師法第19条の第2項に定める「診断書等の交付義務」についてみてみましょう。

◆診断書等の交付義務

治療費の未払いを繰り返す患者から、「保険会社(民間)への保険金請求で診断書が必要だから交付してほしい。」と求められた場合、治療費の未払いを理由に診断書の交付を拒否することができるでしょうか。

医師法19条2項では
「診察若しくは検案をし、又は出産に立ち会った医師は、診断書若しくは検案書又は出生証明書若しくは死産証書の交付の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」
と医師の診断書等交付義務を定めています。

ここでも、診察した医師は、「正当な事由」がなければ患者からの診断書交付請求を断ることができません。
そこで、治療費の未払いが診断書交付を拒否する「正当な事由」にあたるのかが問題となります。

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判例(東京簡裁平成16年2月16日)は

「医師法19条2項の趣旨は、診察をした医師には、医療契約の内容として、診断書の交付要求に対して応じる義務があるというべきところ、診断書が詐欺、脅迫等不正目的で使用される疑いが客観的状況から濃厚であると認められる場合、医師の所見と異なる内容等虚偽の内容の記載を求められた場合、患者や第三者などに病名や症状が知られると診療上重大な支障が生ずるおそれが強い場合など特別の理由が存する場合に限って、拒否すべき正当事由が存在するとして交付義務を免れることができると解するのが相当である。そして、本件事案のように、検査に異常が認められず他覚症状も認められない場合には、その旨を患者に説明し、それでも診断書の交付を求める者に対しては、本人の訴える自覚症状(主訴)及び検査、診察の結果、医師としての判断した結果を記載した診断書を交付すべき義務があり、交付自体を拒否することはできない」と判断しています。

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「診断書等の交付義務」の場合は、診療契約が成立していることが前提です。その診療契約の内容として、診断書の交付要求に応じる義務があるとしている点が、第1項の応招義務との違いです。

そして、正当な事由とは
①    詐欺、恐喝等の不正の目的に利用される恐れがある場合
②    不当に患者の秘密が他人に漏れる恐れがある場合
などとされています。

つまり、診断書が患者にとって保険会社(民間)への保険金請求をするための重要な客観的資料であることからすると、治療費未払いだからと言って、診断書の交付を拒否することはできないということになります。
医師は、「正当な理由」がなければ、診察の求めに応じなければならず、診察すればその時点で診療契約が成立し、治療費未払いでも診断書交付しなければなりません。

権利より義務ばかり課せられている医師に敬意を表します。