応招義務に関する裁判例

前回は、応招義務の基本的な考え方を概観しました。

復習のため再掲しますが、応招義務は、私法上の義務(患者に対して負う義務)ではなく、公法上の義務(国に対して負う義務)であり、医師に応招義務違反の事実があっても、現行医師法には罰則が設けられていないため、これを処罰し刑事責任を追及することはできず、また、直ちに民事上の損害賠償責任が生じるわけでもありません。しかし、診療を拒否したことが「医師としての品位を損するような行為」(医師法第7条2項)に該当すると判断されれば、医師免許取り消しや医業停止などの行政処分の対象となり、また、診療を拒否したことによって患者に損害を与えた場合は、患者から損害賠償責任を問われる可能性はあります。

「応招義務」の基本を押さえた上で、裁判所がどのように事案を分析し判断したのか、今回は病院が専門医の不在を理由に交通事故の救急患者を断ったため応招義務違反で損害賠償を命じられたという、応招義務に関する裁判例をご紹介します。

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応招義務違反で病院の責任が問われた判例(判例時報1458号127頁)
-第三次救急医療機関における診療拒否-

 

平成元年5月14日午後8時頃、Y市内で交通事故にあった患者Aが、事故現場から100mほどのS病院に救急車でかつぎ込まれました。

S病院の医師が、病院玄関口に停車中の救急車内で患者を診察したところ、両側肺挫傷、右気管支(中間幹)断裂であり、第三次救急患者であると診断し、S病院では扱える状態ではないので患者を受け入れられないと述べました。すぐ救急隊員からY市消防局管制室を通じて連絡を取り、公立のY病院(被告病院)に受け入れの可能性があるかどうかを打診しました。

Y病院は、Y市内における救命救急センターとして特に重篤救急患者(第三次救急患者)の医療を確保する公的医療機関です。

Y病院の当直受付担当者が、夜間救急担当医師の指示を受け「今夜は整形外科も脳外科もありません。遠いし、こちらでは取れません」等と応答しました。(後の裁判でY病院は、「確かにそのように応答したが、断ったわけではない」と主張しましたが、判決は「客観的にみて、拒否したものと言わざるを得ない」と認定しています。)

管制室は、次にK大学附属病院に連絡を取ったところ、「手術中のため受け入れられない」と言われ、今度は近隣のN市にあるN病院に連絡したところ、「受け入れる」旨の回答があったので、救急車は患者をN病院に搬送しました。
患者Aは、約30分後にN病院に収容され、夜間から夜明けにかけて手術が行われましたが、結局亡くなりました。

Aの遺族(兄弟姉妹)Xが、Y市に対し、Y病院の当直医師が、『正当な理由』がないのにAの受け入れを拒否したことは、診療義務に違反したものであり、Aは、この診療拒否により、Y病院において適切な医療を受けるという法的利益を侵害され、肉体的、精神的な苦痛を被ったとして、損害賠償請求訴訟を提起しました。

裁判所は「Y病院所属の医師が診療を拒否して患者に損害を与えた場合には、Y病院に過失があるという一応の推定がなされY病院は診療拒否を正当ならしめる事由に該当する具体的事実を主張・立証しない限り、患者の被った損害を賠償すべき責任を負う」と判示し、「患者は、医師が『正当な事由』を有さない限り、その求めた診療を拒否されることがなく、診察を受け得るとの法的利益を有する」として、この法的利益の侵害による精神的苦痛に対する慰藉料としてY市に150万円の損害賠償の支払いを命じました。
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この判決において、応招義務は公法上の義務であるとしながらも、応招義務違反の結果、患者に損害を与えた場合には、医師側(病院側)に過失があるという一応の推定がなされ、この「過失の推定」を覆さない限り、民事上の責任を負うという厳しい判断がなされています。

 

医師法第19条は個人である医師を対象とした条文ですが、その法理は病院のような組織体に及ぶとした点、また、応招義務違反があり、かつ、結果として患者に損害を与えたときは「過失の一応の推定がある」とした点に注意が必要です。

因みに、本件はY病院と患者Aとの間に診療契約が成立しておらず、債務不履行ではなく、不法行為による損害賠償請求がなされています。

民事責任として損害賠償を請求するには、不法行為による損害賠償請求か債務不履行による損害賠償請求かの2つしか方法はありません。違いは、契約関係が成立しているかどうか、立証責任が原告(訴えた側)になるか、被告(訴えられた側)になるかです。

この点については、また機会を改めて刑事責任との違いも含めて、「医療と法律」シリーズとして情報発信していく予定です。

さて、前述のように医師法では「正当な事由」について明確に規定していません。応招義務違反があっても罰則規定もなく、また、直ちに民事上の責任に結びつくものではありません。そうであるからこそ、昭和24年の厚生省医務局長通知、昭和30年の厚生省医務局医務課長回答のそれぞれ示した「正当な事由」の解釈が、非常に厳しい基準となっています。
約55年以上前の解釈が、現在のルールとして通用するのか疑問ですが、局長通知に「医業報酬が不払であっても直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない。」とあります。

◆応招義務に関する法令・通知など
通知

つまり、医師の応招義務に「正当な事由」云々とあるのは、そもそもは、従前の診療行為に対する治療費を払っていない等の経済的な理由で診療を拒否してはいけない、という趣旨だったようです。

以前は、医師法に罰則規定が設けられていたようなのですが、国民皆保険により、経済的事由による診療拒否がなくなるであろうと期待されたため、罰則規定が廃止されたことにより、旧厚生省が「正当な事由」の内容について判断基準を示しました。

「正当な事由」について、この旧厚生省と同程度の厳しい基準を、裁判所が裁判規範として認めるようになったことから、大きな問題を生じるようになったのです。その具体例が、前掲の判例(神戸地裁平成4年6月30日判決)です。

この事件以降、メディアによる「たらい回し」非難が過熱するようになりました。では、その発端となった事件をみてみましょう。