3 労働者派遣法をめぐる動きと背景(2015年改正前まで)
(1)労働者派遣法の制定以前の状況
労働者派遣法が制定されたのは、1985年のことです。では、それ以前には、労働者派遣事業はどのように扱われていたのでしょうか。まずは、支配従属関係にある労働者を他者に供給するシステムがどう扱われていたのかという点からみていきます。
親分子分関係や雇用関係等なんらかの支配従属関係にある労働者を供給するというシステム自体は戦前から存在していました。これは労働者供給事業とよばれるものです。労働者供給事業は、自分と雇用契約にある人間を他人の元に派遣する事業に限定されるものではありませんので、労働者派遣事業よりも広い意味合いを持つ言葉です(すなわち、労働者派遣事業は労働者供給事業に含まれるといえます)。一般的には、人夫供給業とか人入れ稼業とよばれ、土建、荷役、運送、鉱山、雑役などの作業で利用されていました。しかし、戦前には労働者の保護を図る制度が十分ではなかったこともあり、中間搾取や強制労働が行われ、労働者にとっては過酷なものでした。
そして戦後、1947年に職業安定法が制定されました。この法律は、上記のような戦前の状況を踏まえて、労働組合によるものを除き、原則として労働者供給事業を禁止するものでした。すなわち、会社が労働者を雇用する形態の基本の枠組みとして、直接雇用が原則とされたのです。これは、労働者の権利の保護を図ったもので、それ自体は評価されるものでした。しかし、直接雇用ではない労働者の雇用を全面的に禁止することは困難でした。現実には、建設業や港湾事業等で、事実上労働者派遣事業が行われており問題となりました。
また、1966年になると、事務処理等の業務の請負を行うアメリカの企業が、日本法人を設立しました。この頃になると、日本の企業でも業績の拡大に伴い事務処理業を行う人材を自分の会社のみでは賄いきれなくなく状況が生じ、企業に対し労働者を派遣して事務処理を行う必要性が高まってきました。このような中、1978年頃から労働者派遣事業に関する検討が行われ、1985年に労働者派遣法が制定されました。これは、これまで禁止されていた労働者供給事業の中から、労働者派遣事業のみをピックアップして認めるものでした。
(2)労働者派遣法制定時(1985年)の規定
では、制定当時の労働者派遣法はどのような決まりが定められていたのでしょうか。
まず、労働関係についての前提の考えとして、前述のように、直接雇用の原則が採用されたことから、労働者派遣事業はあくまで直接雇用の原則の例外と位置付けられました。つまり、派遣労働者を正社員の代わりに雇用し続けるということは許さないとしたのです。これを常用代替の防止といいます。
以上を踏まえて、制定当時の労働者派遣法においては、労働者派遣事業が認められる業務は、政令に記載されているもののみ許されることになりました。これをポジティブリスト方式といいます。このとき政令で労働者派遣事業の対象業務とされたのは、13の業務で、労働者派遣法の施行後16になり、最終的には26の業務にまで拡大されました。いわゆる専門26業務です(現在では再編され28の業務に区分けされています)。
専門26業務の種類については
http://miyagi-roudoukyoku.jsite.mhlw.go.jp/var/rev0/0057/9409/201292112500.pdfがわかりやすくまとめてありますのでご参照ください。
(3)労働者派遣法改正の経緯
1990年代に入るとバブルが崩壊し、日本経済は混迷の時期に突入しました。そのような中、これまで終身雇用に代表される日本型の雇用体制にも変化が見られ、必ずしも一つの会社に生涯勤務しない人々や、正社員以外のパートや派遣労働者として働くことを選択する人々が目立ち始めました。雇用の流動化といわれる現象です。そして、企業側からも労働者派遣事業を行える業務の拡大を希望する声が上がりました。このような状況を踏まえて、何度か労働者派遣法や関係法令の改正が行われました。その中でも大幅な改正であった1999年と2003年及び2012年の労働者派遣法改正を確認します。
①1999年改正
(ⅰ)派遣可能な業務の種類について
まず、それまでのポジティブリスト方式が改められました。すなわち、派遣が禁止される業務を法律・政令等で規定し、それ以外の業務については、自由に労働者派遣事業を行うことができるようになりました。これをネガティブリスト方式といいます。
このとき派遣が禁止される業務とされた主なものは、①港湾運送業務②建設業務③警備業務④製造業務⑤病院等における医業等の医療関連業務⑤弁護士・司法書士・公認会計士等のいわゆる「士業」の業務などです。これらの禁止業務は後述の改正で解禁されたものを除き、2015年現在でも派遣を行うことはできません。
(ⅱ)派遣期間について
1999年改正では、専門26業務について、期間制限を上限3年としました。そして、26業務以外の一般的業務については、原則1年以内の期間制限を設定しました。これは、労働者派遣事業を行える業務を拡大し、規制緩和をする一方で、あくまで日本型の雇用体制を維持し、直接雇用の原則を維持しようという考えも尊重されたものといえます。
なお、このとき、改正の内容を3年後に見直すという規定も加えられました。
②2003年改正
1999年改正時の3年後見直しに規定に従って検討が加えられた結果、2003年に労働者派遣法が改正されました。主な改正点は以下の通りです。
まず、専門26業務の派遣期間の制限が3年から期間制限なしに変更されました。加えて一般的業務の派遣期間の制限が原則1年から3年に拡張されました。
次に、これまで認められていなかった製造業への派遣が解禁されました。当初は派遣期間が原則1年の制限でしたが、2007年の厚生労働省令の改正により原則3年に拡張されることになります。
さらに1999年改正では禁止されていた製造業務と医療業務のうち、社会福祉施設などで行われる業務については派遣が解禁されました。
以上のような、労働者派遣事業の規制緩和のさらなる拡大とともに、派遣労働者の保護制度として、一定の場合に派遣先が派遣労働者に対し直接雇用の申込みを行う制度も規定されました。
③2012年改正
以上みてきたように、1999年と2003年の改正では、派遣労働者の保護に配慮を払いつつも、直接雇用、常用代替禁止の原則という労働者派遣事業に対する規制を緩和する方向で推移してきたといえます。
この労働者派遣事業に対する規制緩和の流れが変わるきっかけとなったのが、2008年にアメリカで発生したいわゆるリーマンショックとそれに伴う世界的な不況です。この不況の影響により、企業が派遣社員を解雇する状況が多発し、解雇された派遣労働者がいわゆる派遣村に集まって年越しをするという現象も起こりました。そして、リーマンショック後も派遣労働者の雇用不安問題が解消されない中、民主党政権下の2012年に労働者派遣法が改正されました。主な改正点は以下の通りです。
まず、労働者派遣法の正式名称が「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備に関する法律」から「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護に関する法律」に変更されました。派遣労働者の保護を強調したいとの意識の表れです。
次に、派遣元に対して、欠格事由、許可取消事由、事業廃止命令事由の追加規定が設定され、派遣元事業主の要件が厳格になりました。
また、グループ企業内の会社に対する労働者派遣の割合を8割に規制することや離職後1年以内の人を元の勤務先に派遣することが禁止されました。
さらに、派遣労働者保護の面を重視し、労働契約申込みみなし制度が創設されました。これは、派遣先が派遣可能期間(抵触日)を超えて派遣を雇い入れている等、違法派遣であることを知りながら派遣労働者を受け入れている場合、抵触日を超えた時点において、派遣先が、派遣労働者に対して労働契約の申込み(直接雇用の申込み)をしたとみなす制度です。この制度の施行は、2015年10月の予定です。
そのほか雇用期間が30日以内の日雇い労働の原則禁止、マージン率等の情報提供及び派遣料金の明示の義務付け等、派遣労働者の処遇改善に関する規定が設けられました。
次回は、2015年改正の詳しい中身と改正に対して注意しておくべき点についてご説明します。