-医療安全対策を考える-「インフォームド・コンセント」の光と影
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このように患者取り違え事故を契機に、1999年以降、医療安全に関して国民の社会的関心が高まるとともに、国を挙げて医療安全対策に取り組むようになったのです。
では、医療事故や紛争を未然に防止するための方策という観点から、インフォームド・コンセントについて、どういう経緯で生まれ、どういう概念なのかみていきます。

1.インフォームド・コンセントの意義
インフォームド・コンセント(Informed Consent)とは、約20年以上前に日本医師会が「説明と同意」と提唱し、患者の自己決定権を実現するシステムあるいは一連のプロセスであると説明されています。
歴史的には、第二次世界大戦中のナチスドイツの人体実験への反省から、被験者の同意の前提としての説明義務が提唱されたことに端を発し、ヘルシンキ宣言(1964年世界医師会採択)において、人体実験(臨床実験)の被験者の人権を守るために、被験者への十分な説明と同意が不可欠であるとの考えが示されたことにあります。

その後、患者の権利に関する世界医師会リスボン宣言(1981年第34回世界医師会総会)にて「患者は充分な説明を受けた後に治療を受け入れるか、または拒否する権利を有する」と明記され、患者の権利はさらに具体化かつ拡大されました。

我が国でも、1997年に医療法が改正され「説明と同意」を行う義務が、初めて法律として明文化されました。

医療法第1条の4第2項
「医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない」

と定めており「医療を受ける者」、いわゆる、患者の「理解を得る」「適切な説明」の重要性が、医療の現場で充分に認識されるようになってきました。
「適切な説明」の基準は、患者のレベルに沿ったものでなければ、患者の理解、信頼は得られないことを示唆しているように読める条文です。
つまり、医師がどんなに時間をかけて専門的な説明をしても、患者の年齢や職種、インテリジェンスのレベルも様々で、長時間専門的な説明を聞いてすべてを理解できる患者・家族は少ないと思われます。

結局「理解できなかった」ということから「そんな話し聞いていない」となり、最終的に「医師の説明不足だ」ということにつながります。
理解のないところに信頼はありません。理解は信頼につながり、この信頼の存在こそが医療の基本といえるでしょう。

では、医師は患者に対してどういう説明義務を、なぜ負うのか、医師の説明義務について考えてみましょう。

2.インフォームド・コンセント「説明義務」の相手とその内容
インフォームド・コンセントを患者の自己決定権を実現するシステムあるいは一連のプロセスと捉えると、医師の説明義務の内容は患者が自己決定権を行使するために必要な情報を提供するものと考えられます。したがって、素人である患者が分かりやすく理解できるものでなければなりません。

又、患者が治療を受けるか拒否するか、患者の自己決定権を保障するためになされる説明(充分な情報提供)なので、その相手は原則として患者本人です。

その説明の範囲について、判例は、
①    当該患者の病名及び現症状とその原因
②    当該治療行為を採用する理由、有効性とその合理的根拠、改善の見込み
③    当該治療行為の内容
④    当該治療行為による危険性及びその発生頻度
⑤    当該治療行為にともなう合併症の有無
⑥    当該治療行為を行った場合の改善の見込み
⑦    当該治療行為をしない場合の予後
⑧    他に取り得る治療方法の有無
などについて、できるだけ具体的に説明すべきであるとしています。

参照判例
東京地判平成4.8.31判時1463号102頁
新潟地判平成6.2.10判時1503号119頁
仙台高判平成6.12.15判時1536号49頁

医師が充分な情報を伝え、患者自身が自らの病を正確に認識・理解して、自らが受ける医療行為を、自らの自由意思に基づき納得して同意するか、あるいは拒否するかという患者の自己決定権を保障するためには、判例の示す具体的な説明の範囲は、妥当といえるでしょう。

説明と同意

 

インフォームド・コンセントの重要性が強調されるにつれ、本来の医療行為等に対する医療不信以外に、説明義務違反についても訴訟が起こされるようになりました。

患者の自己決定権や、説明義務違反が争点となった最高裁判所の判例もかなり出てきていますが、医師の説明義務の内容にかかわる深刻な問題として、がんなどの治癒の不可能性、あるいは、極めて困難な病を患者自身に「告知」すべきかどうかという問題があります。

次に、インフォームド・コンセントと「告知」について考えてみましょう。

3.インフォームド・コンセントと「告知」
1990年代の日本では、患者にがん告知を行うかどうかについて、コンセンサスが得られていなかったため、「告知」をしないで治療を行うことが一般的であったのですが、2000年までに「告知」は、ほぼ必須となりました。
2002年の最高裁(最判平14.9.24)で、「医師が、末期がんの患者本人にその旨を告知すべきでないと判断した場合にも、患者の家族にその病状等を告知しなかったことが診療契約に付随する義務に違反する」として医療機関が敗訴した事例があるくらいです。(判例時報第1803号28頁)注2)

 

注2)
インフォームド・コンセントの対象は、原則として患者本人なのですが、当該判例では、「患者本人」ではなく、「患者家族」に告知しなかったことが診療契約に付随する義務違反だとしています。説明の相手方について慎重な検討が必要なことを示しているので注意が必要です。

つまり、現在においては患者の知る権利を保障するためにも「病名告知」なしのがん治療は(本人が認知症で理解できないなど)特殊な場合を除いてあり得ないくらい、医師にとって「告知」は、治療するうえでの大前提となる行為です。

 ところが、今年3月4日
「医師から余命告知されたことで精神不安定になり、十分ながん治療を受けられずに死亡した」として、大学病院に約4500万円の損害賠償を求める訴訟が提訴されました。

報道によると、遺族の方々は
「医師は、告知によって患者に精神的ショックを与えないよう配慮する義務があった」と主張しているようです。↓
http://www.47news.jp/CN/201303/CN2013030401001939.html 

医師から「病名は癌です。」と告知された時、頭が真っ白になり、一瞬、時が止まったように感じると聞きます。絶望の縁に陥り、その後しばらくは、医師が口をパクパクしているだけで、何ひとつ耳に入ってこないとも聞きます。

がん告知をされて精神的ショックを受けない人がいるのでしょうか。医師がどんなに配慮したとしても、精神的ショックを与えないがん告知は不可能ではないでしょうか。一般に説明義務を果たさなかったことで訴えられるケースが大多数なのですが、間違った医学判断をしたわけでもない、手技ミスをしたわけでもない、投薬ミスをしたわけでもない、にもかかわらず、「告知」した(説明義務を果たした)ことによって、高額な損害賠償訴訟を起こされるとなると今後ますます医療崩壊を進めてしまうことになります。前述のトンデモナイ訴訟提起によって、医療過誤があってもなくても、高額な損害賠償の対象となり得るということが判明したのです。

これまで医療事故や紛争を未然に防止するための方策という観点から、インフォームド・コンセントとは、「医師からの充分な情報提供がなされたあとの患者の意思決定を指す」と説明してきました。医師は、医師としての良心に従い、専門知識と経験からアドバイスを行い、患者のためを思って診療の結果を伝え、患者にとって最良の治療方針を提案します。患者は提案された治療方針を承諾することも、拒否することもできるのです。それが、「インフォームド・コンセント」の真の意味だと。

つまり、医療者の役目は、一般的に医学的知識の少ない患者の声を真摯に傾聴し、その痛みを理解し患者が不利な選択をしないようアドバイスすることにあります。それを患者が自分の価値観で判断することで医療が成り立つのです。

誤解を恐れず、あえて言うとすれば、余命いくばくないと告知されたとしても、残された人生をどう生きるのか、自らの人生にどのように終止符を打つかは、まさに自己決定権の根幹であると考えます。残る余生をどう過ごすかという重大事を、本人選択の機会すら与えないことの方が大問題と言えるのではないでしょうか。