次に、医療安全に関する取り組みが急増するきっかけとなった1999年に起きた重大な医療事故についてみてみましょう。
我が国の医療制度は、医療事故があることを前提に制度設計されてなかったので、1990年代まで、医療事故の実態は不明です。1999年に3つの重大な医療事故等が表面化し、その実態が浮上してきました。
1999(平成11)年に起きた3つの医療事故
・1月11日…患者取り違え事故
・2月11日…薬剤取り違え事故
・7月11日…割り箸刺入看過事故
本稿では、上記3つの医療事故のうち、世界的に有名になった「患者取り違え事故」について、どのような事案だったのか概観します。
****************************************
患者取り違え事故(業務上過失傷害事件)
最高裁2007年3月26日判決 (裁判所時報1433号132頁)
1999年1月11日、Y大学医学部附属病院では、患者Aの肺手術と患者Bの心臓手術の2件の手術が予定されていました。
手術当日、病棟担当看護師と手術担当看護師との間で意思疎通が十分に図られず、手術室入室前にAとBの入れ違いが発生しました。AとBの各手術担当看護師らは、各患者に名前を間違えて声をかけましたが、A、Bはいずれも名前が間違えられていることに気付かずに返事をしたり頷いたりしました。そして、患者両名は取り違えられたまま手術室に搬送されました。
各手術室においても、医師らが名前を間違えて声をかけましたが、それらに対して患者A、Bが頷いたことから、その取り違えに気付かないまま患者Aには心臓手術、患者Bに肺手術が行われました。
手術中、心臓手術の執刀医が所見の著変から患者の同一性に疑いを持ちましたが、手術を中止せず、本来Bに対して行うべき心臓手術をAに対して完了させました。
一方、肺手術の執刀医は、心疾患のBを肺疾患のAと思い込んだ上で、肺手術を終了しました。
この事件に対し、医師や看護師らが、業務上過失傷害の疑いで起訴されました。
****************************************
一審、二審とそれぞれ各関係者は有罪(罰金刑)とされ、このうち一審で無罪だった医師が二審で有罪となり、上告したのが本件最高裁判所判決です。
最高裁は
「患者の同一性を確認することは、医療行為正当化の大前提で、医療関係者の初歩的、基本的な注意義務であり、各人の職責や持ち場に応じ、重畳的に、それぞれが責任を持って」、「患者の状況に応じた適切な方法で、その同一性を確認する注意義務がある」
と判示した上で
「術前の極度の不安や緊張状態等を考えると、患者の姓だけを呼び、さらに姓にあいさつなどを加えて呼ぶ等の方法は不十分で、患者の容ぼうそのほかの外見的特徴などをも併せて確認をしなかった点において過失があり、外見的特徴などから患者の同一性について疑いを持つに至ったところ、確実な確認措置を採らなかった点においても過失がある」として、
医師、看護師各関係者に罰金刑を科した控訴審(第二審)を支持し、上告を棄却しました。
****************************************
本来、高度医療を提供する大学病院において、あってはならない初歩的、基本的な確認ミスで、患者に傷害を負わせた当該事故を契機に、医療安全について国民の社会的関心が高まりました。
本件医療事故においては、「肺がんと疑われた腫瘤が見当たらない」「既往歴の手術痕が見当たらない」など「術前検査と術中検査の結果と異なる所見を認識」し「患者の同一性に疑念を抱き」ながら、再確認しなかった確認ミスと確認ミスが重なりあって、取り返しのつかない大きな事故となってしまったのです。
この教訓から、次に示すように厚生労働省を中心に本格的な医療事故防止対策への取り組みが行われ、その施策の一環で、病院や有床診療所の管理者に、医療安全管理体制を法的に義務づけることとなったのです。
さらに、2006 年4 月の診療報酬改定では、「医療安全対策加算(入院初日50 点)」が新設され、医療安全管理部門に専従の医療安全管理者を配置し、医療安全確保のための業務改善等を継続的に実施している医療機関に対して、診療報酬上の評価が与えられることとなりました。http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/i-anzen/houkoku/dl/070330-2.pdf
http://www.jmha.or.jp/kaiteipdf/08.pdf
主な医療安全関連の経緯
厚生労働省「主な医療安全関連の経緯」より作成
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/i-anzen/keii/